66.祥泉寺の木造阿弥陀如来立像・木造薬師如来立像・木造千手観音菩薩立像(しょうせんじのもくぞうあみ だにょらいりゅうぞう・もくぞうやくしにょらいりゅうぞう・もくぞうせんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)
- 種別
市指定有形文化財(彫刻) - 指定年月日
令和4年9月30日 - 所在
相模原市緑区中野1925 - 記号番号
指-66
内容
熊野信仰主祭神の本地仏(本体)を示す一具三像で、熊野本宮(阿弥陀如来)・新宮(薬師如来)・那智(千手観音)を示します。もとは当寺境内の鎮守である熊野神社に祀られていました。
いずれも16世紀(室町時代)の作例と考えられる木製の仏像です。一木造で内刳りは施さず、眼は彫眼により表現され、像の表面は木地に黒色の彩色が浅く施されています。二如来像の手、千手観音像の髻・脇手は別に矧ぎつけていますが、二如来像の両手は本来の印相(手や指のポーズ)ではなく、後世の補修の際に誤って矧ぎつけたものとみられます。二如来像の頭髪は、螺髪でなく同心円状の筋彫であらわす点に、通有像と異なる特徴を持ちます。
三像とも、本地仏らしいやや素朴な作風をもち、寸胴気味な体形が共通しており、量感のある体躯とまとまった衣文表現には形式化が見られますが、彫技は巧みです。いずれも顔つきは整い、表情に生彩があり、如来像の肉髻の小さく低い様や千手観音像の高い髻なども、中世室町期の作風をよく踏襲しているといえます。
祥泉寺由緒書によれば、永正9年(1512)に相模国中郡を経略した伊勢宗瑞(北条早雲)が、同年祥泉庵と熊野社に寺社領を寄進し、同年12月5日の熊野堂棟札銘写によれば、荻野(厚木市)の地頭が祥泉庵熊野堂を修築していることがわかります。その後も、棟札銘写には津久井城主内藤氏3代にわたり、享禄3年(1530)、天文17年(1548)、天文22年(1553)、天正8年(1580)に熊野堂を修築しており、本三像の作風は、これらの棟札の年紀である16世紀に相応しく、造像時期もこの時期にあたると考えられます。なお、阿弥陀如来像の背面には、「奉造立(ぞうりつたてまつる)旦那(だんな)長秀(ながひで)」の陰刻銘がありますが、造立者の長秀という人物の詳細は不明です。
この一具三像は、津久井地域における熊野信仰の歴史を具体に示す重要な作例です。また、本市域においても中世までさかのぼる熊野三所権現本地仏の希少な古像であり、市域の中世彫刻を知る上で極めて貴重な文化財です。
※拝観の際には、寺への事前連絡が必要です。
参考文献
薄井和男 2018 「第一章 神社と寺院 第三節 彫刻(仏像・神像)」『津久井町史』文化遺産編 相模原市
神野裕太、薄井和男、望月一樹、橋本亮太、渡邊浩貴 2020 『特別展図録 相模川流域のみほとけ』 神奈川県立歴史博物館
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