42.光明寺文書(こうみょうじもんじょ)
- 種別
市指定有形文化財(古文書) - 指定年月日
平成21年7月27日 - 所在
横浜市金沢区金沢町142 神奈川県立金沢文庫(寄託) - 記号番号
指-42
内容
光明寺文書は、夢窓疎石(むそうそせき)開山の光明寺(緑区青山)に伝わる寺領安堵(じりょうあんど)の書状や寄進状(きしんじょう)などを中心とする文書群です。
『新編相模国風土記稿』によると、光明寺は「小名櫻野(さくらの)にあり、永享の文書には、桐ヶ谷(きりがや)とあり、大永の文書には、櫻野とあり、然れば永享後、大永以前に今の寺地に移りしなるべし(後略)」とあり、また、桐ヶ谷にあったものが現在地に移され、以前は、宝積寺(ほうしゃくじ)と称されたと推測しています。古文書は鎌倉にあった宝積寺の塔頭(たっちゅう)龍徳院(りゅうとくいん)などや光明寺に関連する文書70通、絵図1枚、絵画1枚に及び、その内容は、太田資清(おおたすけきよ)(道真(どうしん))、資長(すけなが)(道灌(どうかん))、扇谷(おうぎがやつ)上杉家の上杉定正(うえすぎさだまさ)、朝良(ともよし)、朝興(ともおき)や、三浦義同(みうらよしあつ)(道寸(どうすん))の寺領安堵の書状などです。域にかかわるものとしては、津久井城主内藤家の内藤大和入道(ないとうやまとにゅうどう)、康行(やすゆき)、綱秀(つなひで)、直行(なおゆき)の代々の城主の寄進状や朱印状などがあります。
また、室町幕府第13代将軍足利義輝(あしかがよしてる)が寺院の長を務める僧の職を付与した公帖(くじょう)※、古河公方(こがくぼう)の足利晴氏(はるうじ)や義氏(よしうじ)の住持職補任状(じゅうじしょくぶにんじょう)などもあり、中世寺院の経営や寺領安堵について知ることのできる史料です。
※公帖 室町幕府が発給した禅宗寺院の住持の任命書。公文(くもん)とも言う。
参考文献
津久井町 2008 『津久井町史 資料編 考古・古代・中世』
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