10.町から市へ「相模原市の誕生(たんじょう)」と人口の増加(ぞうか)
戦争(せんそう)が終わると、日本の産業(さんぎょう)がだんだん発展(はってん)していき、相模原でも、米軍基地(べいぐんきち)(相模陸軍(さがみりくぐん)造兵(ぞうへい)しょう)などで働(はたら)く人が全国から集まり、人口が次第に増(ふ)えて活気のあるまちになっていきました。
昭和29年、全国で453番目、神奈川(かながわ)県では10番目の市として、「相模原市」が誕生(たんじょう)しました。
当時の人口は約(やく)8万人、予算のきぼは約2億(おく)2千万円でした。
このころ、相模原(さがみはら)地域(ちいき)の産業の中心は、農業から工業へと移(うつ)っていきました。昭和30年以降(いこう)、相模原市は、内陸(ないりく)工業都市(海からはなれた地域にできる工業のまち)を目指して、積極的(せっきょくてき)に市内へ会社や工場を呼(よ)びこみました。
また、相模原市は首都圏(しゅとけん)(首都の東京を中心とした地域(ちいき))に位置(いち)しているため、首都圏で働(はたら)く人のベットタウンとしての人気も高まり、住宅(じゅうたく)もどんどん増えていきました。
人口も昭和42年に20万人、昭和46年に30万人、昭和52年に40万人、そして昭和62年には50万人を突破(とっぱ)するという全国でもめずらしい早さで増(ふ)え続(つづ)けていきました。