5.養蚕(ようさん)でさかえた相模原

ページ番号1012655  最終更新日 令和5年2月6日

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今からおよそ300年前、相模原では、畑にかいこが食べるくわの木をうえ、かいこを育て、かいこのまゆを使って生糸を作る「養蚕(ようさん)」が始まりました。
生糸は、絹(きぬ)という布(ぬの)の材料(ざいりょう)です。

当時、武士(ぶし)、町人などの服に絹が使われるようになり、絹おりものをつくる場所は、全国各地(かくち)に広まっていきました。

このころ、相模原に近い八王子も、絹おりものの町として有名になります。
絹の商人たちは、農民(のうみん)に生糸をつくるよう求(もと)めました。こうして、相模原にも養蚕がしだいに発達(はったつ)するようになってきました。
田んぼが少なく畑が多い相模原では、麦、あわ、ひえなどを育てていましたが、養蚕により、直接(ちょくせつ)お金を得(え)ることができるようになったため、農民たちの生活は少しずつ豊(ゆた)かになっていきました。

養蚕(ようさん)って知ってる?

養蚕とは、「蚕(かいこ)」を桑(くわ)の葉で育て、できたまゆを糸にくりあげ生糸を作ることです。お金をたくさん得(え)ることができるので、相模原に住む農民たちは、「蚕を第一に」生活をしていました。

養蚕の様子(写真は昭和(しょうわ)50~60年代)

写真1
桑畑(くわばたけ)の風景(ふうけい)
写真2
養蚕農家(ようさんのうか)

写真3
蚕の飼育(しいく)
写真4
糸取の様子

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