2.貴族(きぞく)が活やくした時代の相模原
古墳時代(こふんじだい)
約(やく)1,700~1,400年前ごろ、日本全国で土を高く盛(も)った古墳(こふん)というお墓(はか)が作られるようになりました。
古墳は、当時のクニやムラを支配(しはい)する力があった人のお墓です。
相模原でも約1,400年前ごろの人びとが生活していたあとやいくつかの古墳が見つかりました。また、相模川や境川(さかいがわ)のそばにあるがけからも洞(どう)くつのように掘(ほ)られたお墓が見つかりました。お墓からは、勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)などの身に付(つ)ける飾(かざ)りや刀などの武器(ぶき)も一緒(いっしょ)に見つかっています。これらは、このころの相模原に小さなムラを支配する実力者がいたことを表しています。
古墳(こふん)を見てみよう!
- 当麻東原古墳(たいまあずまはらこふん)
1988年、JR相模線(さがみせん)原当麻駅(はらたいまえき)の近くに、古墳が発掘(はっくつ)されました。調査(ちょうさ)を進めたところ、勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)など体につける道具が380点も見つかりました。
いま、古墳は公園として整備(せいび)されています。昔のお墓(はか)は、どんなものだったのか見てみよう!
- 谷原古墳群12号墳(たにはらこふん12ごうふん)
「1.大むかしの相模原」のページで紹介した史跡田名向原遺跡公園(しせきたなむかいはらいせきこうえん)には、谷原古墳群12号墳と呼(よ)ばれる古墳があります。ぜひ、訪(おとず)れてみてね!
奈良時代(ならじだい)
奈良時代(ならじだい)になると、現在(げんざい)の県のように地方ごとに「国」がつくられるようになりました。
相模原地域(さがみはらちいき)と津久井地域(つくいちいき)は「相模国(さがみこく)」に属(ぞく)していて、相模国には、8つの郡(ぐん)という地域(ちいき)がありました。
この時代の記録(きろく)などから相模原は、相模川を境(さかい)に「愛甲郡(あゆかわぐん)」と「高座郡(たかくらぐん)」に分かれ、人びとが小さなムラをつくって生活していたと考えられています。