3.武士(ぶし)が活やくした時代の相模原
鎌倉時代(かまくらじだい)・戦国時代(せんごくじだい)
今からおよそ800年前、鎌倉時代(かまくらじだい)の相模原地域(さがみはらちいき)は、横山党(よこやまとう)とよばれる武士団(ぶしだん)が力をもっていました。しかし、横山党は、鎌倉幕府内で大きな力をもつ北条(ほうじょう)氏(し)と戦(たたか)って敗(やぶ)れ、力を失(うしな)いました。
一遍(いっぺん)の教え
この時代、戦(たたか)いや飢(う)えに苦しむ人が多く、人びとは来世(今回の人生を終えたあとの次の人生)に希望(きぼう)をもつようになりました。このとき、一遍(いっぺん)という僧(そう)の教えが広まり、その教えは、人びとのよりどころとなっていました。当麻(たいま)(現在の南区当麻)に無量光寺(むりょうこうじ)というお寺が建(た)てられ、教えの中心となるお寺として、とても栄(さか)えました。戦国時代(せんごくじだい)に入っても当麻は小田原の北条氏から守られ、関所(せきしょ)や市場として重要(じゅうよう)になりました。
津久井城(つくいじょう)
小田原の北条氏が相模原を支配(しはい)していたころ津久井地域(つくいちいき)にあった津久井城は、甲斐(かい)(今の山梨県(やまなしけん))の武田(たけだ)氏に備(そな)える重要な場所で、北条氏の本城(ほんじょう)であった小田原城を支(ささ)える城(しろ)として重要になりました。津久井城はその後、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の小田原攻(ぜ)めの中、徳川家康(とくがわ いえやす)らの攻撃(こうげき)により落城(らくじょう)しました。
津久井城の歴史(れきし)が少しずつわかっているよ!
- 津久井城があった場所では、毎年、発掘調査(はっくつちょうさ)が行われているよ!
これからも新しい発見があるかも!