平成28年度「相模原市平和大使」広島市派遣結果報告
11月6日、相模女子大学グリーンホールの多目的ホールにて開催した「2016 市民平和のつどい」において、「相模原市平和大使」として10月15日から16日まで広島市を訪問した麻溝小学校4年 廣瀬 里恋(ひろせ りこ)さんと相模台中学校2年 三橋 小路(みつはし こみち)さんから、現地で学んだ原爆被害の実態や、平和への取り組みに関する感想などを発表していただきました。
広島市を訪問したことについて、廣瀬さんは、「私は、昔、日本が大きな戦争をして、たくさんの人々が犠牲になったことや、日本は世界でただ1つ、恐ろしい原子爆弾が落とされた国だということは、本やテレビで見たことがあります。また、ひいおじいちゃんが戦死した話をお母さんから聞いたこともあります。でも、戦争や原爆の本当の怖さや悲惨さは、あまりくわしく知りませんでした。ですから、今回、広島市に行って、自分がどんな勉強ができるかとても興味がありました」と述べました。また、三橋さんは発表にあたり、「原爆が投下された時、広島がどんなにひどいことになっていたのか、私はその辛い過去を学んで来ました。今からその報告をさせて頂きますが、それで終わりにはせずに、家族を始め周りの人にも、必ずこのことを伝えたいと思っています」と述べました。
最初に見学した広島平和記念公園について、廣瀬さんは「『被爆したアオギリ』のお話を聞いたとき、私は、“まるでアオギリは、悲劇に負けずに生きてきた広島の人のようだなあ”と思いました」、三橋さんは「原爆死没者慰霊碑」に刻まれている文章を取り上げ、「ガイドの方が、この文には大事な主語がないと言いました。英語は主語がないと成り立たないので、訳すときにはWE、私たちという言葉が入るそうです。私は、世界のすべての人々が主語になって、過ちを繰り返さないことを決意しなければならないと思います」と述べました。
次に訪問した平和記念資料館に展示物について、廣瀬さんは「両腕を前に垂らして歩く姿の人形は、指先や腕から溶けた皮ふが垂れ下がっていました。体の一部が炭のように黒焦げになった人、顔が溶けて誰かわからなくなった人。これがもし、私のお父さんやお母さんだったらどうしたらいいのでしょう」、三橋さんは「私は今まで、戦争の写真などが怖くていつも目を背けてきました」と前置きし、その上で「中学生の私は、平和に直接つながるようなことはできないかもしれません。でも、過去を学ぶことはできます。私はそう感じ、勇気を出して目を背けることをやめようと思いました。私は、資料館で見たものや聞いた話を決して忘れることができません」と感想を述べました。
2日目に聴講した、渡部公友さんによる被爆体験伝承講話について、廣瀬さんは「被爆された方が年々高齢になり、直接お話を聞くことが難しくなります。それを、受け継いで、伝える役目をしているのが、渡部さんのような伝承者の方々です。渡部さんが伝えている新井俊一郎さんの物語は、途中で胸が苦しくなるところがいくつもありました。新井さんの体験だけではなく、きっと、被爆された方一人ひとりに、つらく悲しい物語があることでしょう」と触れ、三橋さんは感想として、「原爆は、多くの命を奪うと共に、生き残った人々をどれほど傷つけて苦しめるのかを知りました」と述べました。
発表のまとめとして、お二人は、「広島の訪問を終えた今、平和のために私ができることは、勉強してきたことや感じたことを多くの方々に伝え続けていくことだと思います。そうすることが、未来の平和へつながる第一歩になると思います。これからは、平和や命の大切さを意識して生活したいです(廣瀬さん)」、三橋さんは「私たち日本人は、世界唯一の被爆国としてなおさら、戦争の歴史を知らなければならないと思います。誰かに任せておけば戦争なんて起こらないだろうと、無関心になってはいけないと思います。記念碑の中になかった主語に、私自身がならなければならないのです。それは勇気がいるし、難しいことかもしれません。しかし、まず知ることはできます。どんなことでも目を背けずに学んでいくことは、過ちを繰り返さないための第一歩だと思います(三橋さん)」と会場に呼びかけました。
来場者アンケートでは、「平和大使としての発表、そしてその姿勢の素晴らしさに心を打たれました」、「冷静で力のこもった、温かさのにじむ発表は、今までのどのニュースや映画よりも臨場感に満ちていました」、「広島で感じたことを自分の言葉で皆に伝えてくれてありがとう」との声が寄せられました。
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