第5話 天保時代(1830年ごろ)より清新地区に残る家名(かめい)
今も残る家名に「油屋」【南橋本】、「豆腐屋」「柄杓屋(ひしゃくや)」【横山】、「籠屋(かごや)」【矢掛(やがけ)(清新)】、「店」【比久口(びくぐち)(中央)】)があり、南橋本から比久口に通ずる旧街道(国道16号線沿いにあった道路)、甲州方面(甲州街道)から横浜方面に向けて「横浜街道」と言い、人通りも多く雑貨類はよく売れたようです。
横山の「柄杓屋」では、竹柄杓を作って売っており、近くの村で養蚕が盛んなこともあって、糸繰り(繭から糸をとり、また、つむぐこと。)などに水をたくさん使ったので柄杓はよく売れたようでした。柄杓を作るには、太い竹を長さ30センチメートル位に切り割って上の皮をはぎ、その下の丈夫な所をはいで使用します。まず、ゆでて、丸い木型にまきつけ、曲げて継ぎ目は桜の皮で縫い合わせて、底には板を入れ、柄は竹をつけて出来上がりでした。昔は井戸を使用していたので、水は、水がめに汲み取っておき、その水を汲み取るために柄杓を使いました。今も清新地区に残っている孟宗竹(もうそうだけ)の藪は、その時代に植えられたものです。
矢掛の籠屋さんは、桑取り用の籠や落葉を入れる大きな籠などを作る名人でした。この籠屋さんは、一代限りで転業しましたが、家名だけは今でも残っているようです。
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