歴史的公文書ギャラリー
相模原市公文書のうち、保存期間が満了し、歴史的公文書選別基準に該当する公文書を歴史的公文書として保存しています。
主な歴史的公文書
本郡諸達(相原村文書)(明治14年)
高座郡役所から相原村戸長役場に到達した令達類の綴。高座郡役所は藤沢駅(当時)にありました。
なお、「駅」は公共団体の単位の呼称。
官報『大日本帝国憲法』(上溝村文書)(明治22年)
官報の号外で、大日本帝国憲法の内容を伝えたものです。官報ですが、大判で、金枠・菊の紋章付きと、特別な形で出されていることから、上溝村でも特別の形で保管していたものです。
相模原町条例規程(相模原町文書)(明治16年)
昭和16年4月29日、2町6か村が合併し、相模原町が誕生しました。その際の相模原町の条例・規則・規程等を集めて綴った簿冊です。
野帳(田名村文書)(明治8年)
地租改正事業に伴い、最初にまとめられた調査ノート。一筆ごとの田畑の形、面積(縦×横で計算)や耕作者名等を記載しています。この野帳に基づき、反別地価取調帳(反別地価書上帳)が作成され、地券が発行されました。
なお、「埜」は「野」の異体字。
地引切絵図(田名村文書)(明治期)
地租改正に伴い作成された切絵図。「地租改正地引絵図」とも呼ばれ、野帳に基づき字ごとに作成されるため、「字切図」とも呼ばれます。最終的には村全体の大絵図が作成されますが、関係者全員が押印しているものもあります。登記所附属地図(公図)の元となりました。
村会会議録(新磯村文書)(昭和15年)
新磯村議会の議会会議録及び議決書を綴った簿冊。昭和15 年度から合併の前までの書類、昭和15 年度の村税賦課徴収条例や昭和16 年度の新磯村予算書なども含まれています。
村会会議録(大野村文書)(昭和16年)
大野村の村会会議録の綴。昭和16 年度大野村歳入歳出予算書も含まれます。
村会書類(麻溝村文書)(昭和13 年)
麻溝村の村会書類。昭和13 年からですが、15 年度の村税賦課徴収条例や16 年度の歳入出予算書も綴られています。
三栗山造林書類(田名村文書)(大正12 年)
田名村の村有林である三栗山の造林書類。三栗山は、湘南村(現、緑区小倉)にある山林で、江戸時代からの入会山でした。
三栗山地図(田名村文書)(大正12 年)
「高座郡田名村村有林施業図」、『三栗山造林書類』に封入されていた造林作業の施業地図。造林作業の進展を示したもの、大正2 年から13 年までの植栽地区が記載されています。
「村条例許可之証」(青根村文書)(明治22年)
「常設学務委員ニ関スル件」(明治22年)は、青根村の条例第一号が内務大臣伯爵山縣有朋より明治22年10月8日に許可された時の文書です。
「特別新税新設ノ件」は、青根村の特別税を新設する件に対して、内務大臣伯爵山縣有朋、大蔵大臣伯爵松方正義より明治23年3月3日に許可された際の文書です。
「水力発電所設置ニ関スル書類」(青根村文書)(明治28年~)
「道志川水流使用ノ義ニ付承認願」(明治39年)は、道志川の水を利用した水力発電所設置を承認してもらうために青根村に提出された文書です。令和2年6月、NHK総合テレビ「ファミリーヒストリー」の中で紹介されました。
「京王帝都新路線関係書類」(昭和39年)
「各社免許申請概要」(昭和34年)は、昭和39年1月から2月にかけての小田急、西部、京王の鉄道路線免許申請の概要です。
昭和39年に相模原市を含む沿線5市2町が京王帝都新路線建設促進実行委員会を結成し、この会議での説明資料として利用されたものです。
「米穀配給」(青根村文書)(昭和16年)
昭和16年4月生活必需物資統制令が公布され、米は配給制となりました。「米穀需給調整計画ニ関スル件」(昭和16年)は、昭和16年の米の配給に関する決め事(配給量など)が記載されている文書です。
「酒類配給書類」(青根村文書)(昭和18年)
昭和16年4月生活必需物資統制令に基づき、酒類は昭和17年1月より配給制となりました。
「3月分家庭用清酒配給に関する件」(昭和18年)は、昭和18年の酒類の配給に関する決め事(配給量など)が記載されている文書です。
「オリンピック東京大会国内聖火リレー」(昭和39年)
第18回オリンピック東京大会での聖火リレーが神川県内では相模湖沿いと相模湾沿いの2コースが決まりました。
「オリンピック東京国内聖火リレー神奈川県内リレー実施要綱」(昭和39年)は、神奈川県内の聖火リレーの要綱で、正副走者の名簿や走り方などが書かれています。
「地租改正地引絵図(長竹)(串川村文書)(明治10年)
地租改正地引絵図(明治10年)は、地租改正に伴い作成されたもので、長竹地区を二つに分けたうちの一方の絵図で、他に青山、根小屋地区があります。
(3.64メートル×1.84メートル)
「震災二関スル書類」(青根村文書)(大正14年)
水火災其他災害取調表(大正14年)は、関東大震災による被害状況について、青根村長から津久井郡長への報告です。
発生当日の9月1日付けとなっています。
「キャンプ渕野辺跡地利用」(昭和45年)
日本は、降伏文書に調印した昭和20年9月2日付等で接収命令が出され、陸軍機甲整備学校調達要求書第4419号により「キャンプ淵野辺」となりました。
昭和45年、市長名で、「キャンプ淵野辺の返還後における跡地利用について」の要望書を大蔵大臣あて提出しました。
「昭和47年度基地対策関係書類(相模補給廠戦斗車両搬送問題)」(昭和47年)
「米軍戦闘車両の輸送について」の二階堂官房長官(当時)からの回答文です。
昭和47年11月23日に河津市長(当時)が二階堂官房長官に面会し、二階堂長官からキャンプ淵野辺の昭和48年度中の返還、返還跡地の無償での地元利用への開放等が示されました。
歴史的公文書の利用方法
- 歴史的公文書の利用を希望するときは、「歴史的公文書利用請求書」をご記入の上、公文書館の受付に直接提出してください。
- 利用請求書の提出後、申請のあった歴史的公文書の可否について、原則として2週間以内に決定の上、通知いたします。
- 歴史的公文書の中には、個人情報等で利用できない場合や審査に時間がかかる場合があります。
- 歴史的公文書は館外貸出しできません。
- 歴史的公文書の写真撮影又はコピーを希望する場合は、係員にご相談ください。
PDFファイルをご覧いただくには、「Acrobat Reader(R)」が必要です。お持ちでない人はアドビ株式会社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。
このページについて、ご意見をお聞かせください
このページに関するお問い合わせ
情報公開・文書管理課(公文書管理班)
住所:〒252-5277 中央区中央2-11-15 市役所本館3階
電話:042-769-8210 ファクス:042-754-2280
情報公開・文書管理課(公文書管理班)へのメールでのお問い合わせ専用フォーム