上矢部の土塁と板碑(山口元秀さん)
横浜線矢部駅から北へ約1.5キロ。上矢部交差点の近くには、平安時代末期から鎌倉時代初期に造られたと伝えられる「土塁(どるい)」が残っています。
土塁とは、土を盛り上げて造った防御施設のことで、敵の攻撃を防ぐため、城や館の外周に設けられます。
上矢部の土塁は、当時この地を治めていた「横山党※」の一人、矢部氏の館に設けられたものといわれており、現在、館自体は残っていませんが、土塁の一部が現存しています。
土塁の現存部分は、長さ約33m、幅6.3m、高さ約3.75m。土塁のすぐ隣に堀が設けられていたことが発掘調査で確認されているので、堀底からの高さは、6m近くあったと推測されます。
矢部氏は建保元年(1213年)、和田合戦で討死しました。供養のために建てられたと伝えられる「板碑」が、土塁の近くにある祠の中に残っています。
板碑は、鎌倉時代末期の乾元(けんげん)2年(1303年)に建てられたもので、阿弥陀如来と、一対の華瓶(けびょう・花瓶)を繊細な線刻で表しています。
※「横山党」と呼ばれる武士団は、11世紀から12世紀頃に、八王子市から南に進出し、境川や相模川流域に館を構え、兄弟一族が、粟飯原(あいはら)氏、小山氏、矢部氏、田名氏などと名乗りました。
(平成25年3月 24年度市民カメラマン 山口元秀)
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