橋本駅ゆかりの碑をたずねて ~橋本駅ができるまで~
平成29年度市民カメラマン
板谷精彰さんのリポート
今年で開業110周年を迎えるJR横浜線は、明治41年(1908年)9月23日に横浜鉄道株式会社が、八王子と東神奈川を結ぶ路線として開業しました。
計画段階では橋本駅の設置予定はなく、淵野辺駅の次の駅は相原駅となっていました。
それを知った相原村橋本(現在の橋本5丁目)の相澤安右衛門・菊太郎(後の相原村村長)兄弟を中心とした有志が、近隣の村々の協力を得て、鉄道会社や神奈川県庁などに橋本駅の必要性を説き、再三請願し、最終的に土地8,000坪と駅舎建設負担金を提供することでようやく橋本駅設置が決定しました。
明治38年9月24日、橋本駅の設置場所を決定するため、当時の神奈川県知事と高座郡郡長が相澤兄弟の案内で現地視察しました。当日は残暑厳しい中、辺りは見渡す限り桑畑で、日差しを遮るものが何もありませんでした。ただ駅予定地から200メートルほど西方に大きな1本の柿の木が木陰をつくっていました。その柿の木の下で会議をして、現在の橋本駅の場所を決定しました。その時の思いを、郡長が『風かおる 駅やむかしの 桑のはた』と詠み、その言葉が刻まれた記念碑が柿の木のあったところに設置されました。
その後、その大きな記念碑は相澤邸に移設され、現在は『橋本駅設置に関するゆかりの処』と刻まれた小さな表示塔に変わっています。表示塔は、橋本駅北口にあるザ・ハシモトタワーを越えてすぐ、線路側の小路を80メートルほど進んだところにたたずんでいます。
現在は橋本駅周辺も大きく発展し、一帯が桑畑であったとは想像も出来ませんが、全てはこの柿の木の木陰会議から始まっています。(※現在、柿の木はありません)
皆さんも、昔の橋本駅周辺に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
(平成29年度市民カメラマン 板谷精彰さん)
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